自分にある原因「コギャル」という言葉が生まれてきた時代。それが私が中学から高校をすごした時代だ。 ルーズソックスがはやったり、制服のスカートをものすごく短くしたり。髪をさまざまな色に染めたり、腰パンをしていたり。 けれども、私自身はそういった流行にまったく縁の無い人間…というより、そういった時代の流れが好きではなかった。 学校は自由を売りにしている学校だったから、よほどのことをやらない限りは、誰も咎める人は居なかったし、だから咎められる事もなかった。 コギャルが謳歌できる学校であったといえるだろう。 けれど、私は彼らの行動が「自由を主張するだけで、他の人の権利を守らない行動をとる奴ら」としか見れなかった。 授業が授業に全くならなかった事もたびたびあったし、万引きなどの軽犯罪も日常茶飯事であった様子だったからである。 だからこそ「よほど」の事が時々起きたりした…記憶がある。当然の報いであると思ってたけど。 自分の行った行為に対しては、きちんと責任を取らなければならない。だから、犯罪行為に加担していたのであれば、それ相応の被害が帰ってくるのは当然であるから。 「時代の流れが、彼らを容認を生み出している」だからこそ時代の流れが好きではなかったといえるのであろう。 そして私は一言で言えば「心にまったく余裕が無い人間」であった。 自分はいい子で居なければならないと思っていた。学歴や権力をひどく求める子供であり、そして早く大人になりたかった。 早く大人になって、人を守れる力が欲しい。腕力など全く無い自分がにとって大切な人を守れる力が、学歴や権力であると幼い頃から考えていたからである。 そして、その価値観を周りにも当てはめようとしていた。、大人を含めてうまく誘導して、「いい子」の型に押しはめようとしていた。 いい子であると認められたかった。褒められたかった。その為に何か動いて無いと気がすまなかった。 けれども…実力はまったく伴っていなかった。 「あの子よりも私のほうがいい子」そう認められたくて、人を蹴落とそうとしていたんだろう…無意識のうちに。 学校では、「あの人を知らない人はもぐり」と言われるまで有名になった。何故かものすごく目立つ存在であったらしい。 若干お調子者だったところもあるのだろう。そして、「知らない人から挨拶されても挨拶を返す」ので、よく、いろいろな人から声をかけられていた。 こちらが名前を覚えている人なんて、当時からほとんど居ないし、今ではすっかり記憶に残ってない。 なんとなく、大勢の人の中でのうわべだけの付き合い。そして…影ではイジメが続く日々。 他の人をいじめる材料にまでされた事すらあった。 大勢の中に居て、そして孤独だった。本当に友達と思える人がどれだけいただろう?「友達が居る」周りがうらやましかった。 イジメが続いて、友達が居ない事がさびしくてたまらなくて。「誰からも好かれない自分が嫌い」だった。「いっそこの世から消えてしまいたい」とも考え続けていた。 物事がある方向に進むとき、それがいい方向であれ悪い方向であれ、それにかかわった全ての人に何らかの役割や責任などがあると私は考えている。 「誰かが悪い」と責任を全て押し付けるのは簡単であるが、それによって事態が解決するわけでは無いし、逆に「自分が全て悪いんだ」と思っても同様の事が言える。 いじめについても、そうであろう。「いじめる側」の責任が大きいのは言うまでも無いが、「いじめられる側」にもなんらかの要素があったのではないだろうか? 「いじめられる側」の責任ばかりを注目するのは、学校の先生のやることと同じであるし、なんともなら無いのは後で触れる予定であるのだが。 今思うと…「自分すらす気になれない自分を誰が好きになるというのだろう?」と疑問を持つ。 「人を蹴落とそうと(意識をしてなくても)している人間」を誰が友達だと認めるというのであろうか? まず、「人に好かれることありき」「人に評価されることありき」で居たから、「人をうらやましがることしかしなかった」から結局自分らしく生きれなくて、その結果イジメられていたのではないか? もし、何かひとつ、私がその当時気がつけていたら…おそらく、イジメのつらい体験が長く続くことは無かったのではないだろうか? けれど…全ての面において、私の心には余裕が無かった。そしてイジメが続いたのである。 |