時々、テレビや新聞で耳にする言葉。 「彼が笑っていたから、苦しんでいるのだと気がつかなかった」 私もいじめられていた頃、笑っていた記憶があります。 そして、私はその時笑っていた理由を言うことが出来ます。 多分イジメを苦にしていた人が笑っている理由は私のと同じじゃないだろうかと思います。 あくまでも想像でしかありませんが… 私が笑っていた理由。簡単です「泣きたくなかったから」。 「誰かの前で大声で泣く」そういうこと、貴方だったら出来ますか?? 「いじめられてるから泣く」そんなことをしたら自分のプライドはどうなるでしょう? まして「いじめている人の前で泣く」。屈辱の塊になりませんか?泣くことが悔しくありませんか? それに。泣いたところで誰も同情してくれません。 なんだかんだで、私はこらえ切れなくて泣いてた人ですが…泣いたらこういわれます。 『涙見せるのって卑怯だよな』 かなり追い詰められます。 そして、その涙に同情してくれた人がいたとしましょう。 けれど、同情してくれるのは「泣いたその一瞬だけ」です。次の瞬間からは、同情は消えうせます。 そして、その同情にすがりつこうものなら「ものすご〜く嫌な顔」をされます。 私の気持ちではっきり言ってしまえば、このような同情はいりません。 余計心の傷を深めていくだけでした。下手な同情は戦う勢いを奪い去ってゆくのです。 だから…泣くことなんて出来ません。でもつらいんです、泣きたいんです。 涙が零れ落ちそうになるのを必死に抑えるために…笑うんです。 「笑いたくて笑っている」訳では決してなく…「笑うことしか出来ない」状態に陥ってしまうんです。 しかし…この笑いは決していい効果を生み出しません。 いじめに全く関わって無い人が『どうして○○は笑っていられるの?』 と信じられないと思い、そして友達になろうとするのをやめてしまう事もあったりするのです。 いじめている側も『笑っているんだから平気だろう』そう考え、いじめはエスカレートして行ってしまうんです。 本当は…泣きたいのに… この悪循環から抜け出すための方法については。私は全く知りません。 もし知っていたのならば、およそ9年間もいじめに悩むことはなかったでしょう。 そして今も。明確な答えを持ち合わせていません。 ただ、一つ確実にいえることは「笑ってるからといって、つらくないとは限らない」ということ。 自分の基準と比較して「耐えられないだろう」と考えられることで笑っている場合は、確実に 「笑うことしか出来なくなっている」んです。 そのことに、周りの大人は早く気がついてあげて欲しいと切実に願います。 そして、その子供の視点で彼らが納得できるように手助けをしてあげてください。 この時、大人の視点で将来を見通されても、そこまで子供は見えないんです。 今目の前の出来事で精一杯なのだし、大人ほど経験を積んではいないのだから。 そうすれば…これほどまでに苦しまなくても済むかもしれないのです。 |
2002/11/01
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