どうやら障害児だったらしい

すごく昔の話なので、記憶が若干あいまいになっていますが。
小学校の低学年の時、私は「聞こえとことばの教室」に通っていました。
(「聞こえとことばの教室」がどういう施設なのか詳しいことは調べ中〜<というか情報求む)

聞こえとことばの教室は、自分の通っていた小学校には無かったので、週に1回学校を早退して。
聞こえとことばの教室がある学校に母親の自転車で通っていた記憶があります。

どうやら、私は言葉の発育が遅れている子供だった様子です。
結構日本語がうまく発音できていなかったらしいのですが、今の私の記憶に残っているのは「ガ行(鼻濁音)」と「ラ行」がうまく発音できなくて、何回も何回も練習を繰返してきたっていうものだけです。
いまだに「あり」と発音しているつもりで「あれ」になってることがあるのは…その名残でしょう。
(特に「ありありありあり…」と続けて言うといつの間にか(というか、かなり早い段階で)「あれあれ…」になってしまっていたり)

当時の私は別に「聞こえと言葉の教室に通う」事が「特別なこと」であるとか全く気が付いていなかったんですけど。
プログラムの中に「ゲームをしながら言葉をきちんと発音できるようにしていく」というのが組み込まれていたので。
単純に「聞こえとことばの教室」は「発音練習が大変だけど遊べる場所」として認識していましたから。
もちろん、かなり発音練習では悪戦苦闘してたんですが、最後のゲームが楽しかったので。それで楽しいと認識してる辺り、単純な思考回路を持っているんだろうなぁ〜と思います。
「聞こえと言葉の教室」に通うほど発音が悪かったのは言語障害の一種であることを知ったのは確か高校から大学の辺りだったと思います。
それまで、全く自分が障害を持っていることを知らなかったというのは、ある意味幸せだったのかもしれません。

さっき書いたように、いまだにうまく発音できないことがあります。外でマイクを通して話をすることになると。
ろれつが悪いせいなのかうまく日本語として聞こえないこともありました。
これからもきっと、ほとんど目立たない程度で言語障害は残っていくんだと思います。
けれど、私はこうやって大学に進んで、自分の目指している夢を追いかけています。

ハンディキャップを乗り越えて、活躍している人というのは多く居ます。
ハンディキャップを乗り越えるのにはとても努力をされたんだと思います。
けれど、ハンディキャップがあることと、その人自身と。何の関連があるのでしょう?
確かに…少しハンディキャップの分不利なところもあります。
しかし、それを別の能力で補っているということも多くあります。
例えるなら、目が悪い人は他の五感が優れているというように。
持っている能力を生かして、夢を追いかけていくことが出来ればと思います。

2002/11/30

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