「neglect(ニグレクト)
(名)1.(義務などの)無視、軽視。ほおって置くこと。放置、怠慢、不注意、無関心。
2.ほおっておかれること。世話されないこと」
(ジーニアス英和辞典より)

一般に日本語での「ニグレクト」とは「無言の虐待」を意味していて、近年少しずつ有名になってきています。
私は、この「無言の虐待」というものをどうやらずっと父親から受け続けていた様子です。

「受け続けていた様子です。」こうやって表現をするのは、「一般的な家庭での父親と娘の関係が一体どのようなものであるのか?」を私は全く知らないから。
だから、そう指摘されるようになるまで、私は全く気が付いていませんでした。
よくよく冷静に考えてみれば、「中学に上がって以降、同じ家に暮らしていながら父親とはほぼ一言も会話をしていない」、
あまつさえ「鉢合わせたらお互いに逃げる」というのは確かに異常な家庭だと思うんですがねぇ。

しかし、「認識していない」とはいっても。実際に私の成長に影を落としているのはどうやら確実である様子です。
私が母親から「言語障害を持っていた」と告げられた時のこと。
その言語障害について調べるために、両親ともども心理テストみたいなものを受けたらしいのですが。
その結果が「母親は少し過保護、父親は無関心」というものだったそうなのです。
つまり、私の言語障害の原因として、父親の無関心…無言の虐待が原因としてあるのではないだろうか?
そういう事だったらしいのです。

「父親が頼りにならない」という事。これは私の性格などの成長の上でも大きな影響を与えてきました。
なぜならばこの仮定状況は「母親に大きな負担をかけること」を意味しています。
普通だったら、父親と母親、2人で分担することを一人でやっているわけですから。
「私が早く大人になりたい」と今も思っていることなどがそれだと思うのです。
「しっかりした学歴のきちんとしている大人になれば。母親の負担を減らすことが出来る」
そう考えている根本の一つにこの父親の影響があると思うのです。(他にもいろいろあるんですけど)

最近ではもう別に「父親から虐待を受けていた」事など全く気にかからない。
もしかしたら、もっと前の段階で何かをしていれば。今の様なお互いに避けあう環境は避けられたかもしれない。
けれど、以前は「例えどんな父親であろうと、父親と接触があること」がうらやましかった。
進路を選ぶとき、私の父親は理系だから。相談に乗って欲しいと願ったこともあった。

子供は。周囲の愛情を受けて育っていきます。一番身近な周囲というのが「家庭」であり。
両親の愛情が、子供の成長に対して大きな影響を与えていると言う事は改めて言う必要はない気もします。
その成長に一番大切な愛情を受けずに育った子供は、どうなるのでしょう?

私は「愛情が分からなくなっているのではないだろうか?」そう思い苦しむことがあるのです。
「父性愛って何?」「男の人の愛情ってどういうものなんだろう?」そう悩む。
自分の中で「男性からの愛情が分かってないんじゃないだろうか?」という思いに囚われているから。
母親から、たくさんの愛情を注いでもらっているのだし、金銭的苦労はしていないのだから。
贅沢者だと思うんですけどねぇ。

それでも。何かあったときに。責任をそこになすり付けてしまう。
だって、「分からないこと」を問われても、どうしようも出来ないのだから。それが、他の人にとって「当たり前」であっても。
私が怯えている心の中の影。その影に大きな影響を与えているのは、父親の存在であると言う事。
そういう考え方が、私の心に深く深く根付いてしまっている。ニグレクト以外の形でも植え込まれているのだから。
事実を変えることは出来ないけれど、けれど囚われることをやめられる日が来ることを願っている。

2003/1/8

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