「求めよ、そうすれば与えられるであろう。門を叩け、そうすれば開かれるであろう」 新約聖書の福音書の中で、こう、キリストは教えを開いています。(聖書のどこの場所かは、今聖書が手元にないので後日付け足します) 一方、仏教の教えでは「求めるから与えられないのである。自然にしていれば与えられるであろう」といった感じの言葉があったような記憶があります<仏教はちょい苦手 何かを欲しいと願っている時、どうすればいいのか?について。 キリスト教では「欲しいと願って居ることが大事だ」と教え、仏教では「欲しいと思いすぎるから与えられないのだ」と教える。 (多分解釈としては間違っていないと思うんだが…) おもいっきり相反することを言っている様な気がするのは…おそらく私だけではあるまい。(^^) さて、貴方ならどちらを信じますか?? 結局両方とも真理なんでしょうねぇ〜って言うのが。私の考え方だったりしてます。 例えば、何かに対する合格とかはやはり「求めて、努力する」事が大切だと思うし。 人間関係では『「恋人が欲しい」と思い募るから、恋人が出来ないんじゃないか??』なんて思ったりもするし。<傍から見ていてさ? 私の友人関係も、「友達が欲しい」と願い続けていた頃よりも、今の方がよほど友達が増えているような気がします。 しかし、「この人と友達になりたい!」っていう風に願って行動を起こすこともよくある。 手に入れたいものがあって、で、どんなに努力しても手に入れられないとき。 実は少し落ち着いて待つのも大切なんじゃないかなぁ?などとしみじみ考える。 個人的には「押してだめなら引いてみろ」これが究極の真理なのかなぁ??などとかんがえてます。 |
2003/2/26
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